出ない一発
書店のレジ。
午後三時。
お客さんが、
本を三冊、
カウンターに置く。
バーコードを、
ピッ。
そのとき、
鼻の奥が
むずっとする。
来た。
ピッ。
来ている。
ピッ。
まだ、来ている。
「千六百五十円です」
声が、
少し鼻にかかる。
お客さんが
財布を開く。
その間、
私は
上を向いた。
蛍光灯。
まぶしい。
光を見ると
出る、
と聞いたことがある。
出ない。
……出ない。
鼻の付け根を
指で押す。
出ない。
口を開けてみる。
お客さんと、
目が合う。
閉じる。
「お釣りです」
手が、震える。
くしゃみの手前で
震えている。
ここで出たら、
どうなる。
ハッ、
の音。
お釣りの硬貨が、
カウンターを転がる。
お客さんの、
半歩の後ずさり。
考えるだけで、
鼻が引っ込んだ。
お客さんが
出ていく。
……出ない。
次のお客さん。
出ない。
その次。
出ない。
途中で、
お客さんに聞かれる。
「風邪ですか?」
違う。
くしゃみの手前です、
とは言えない。
「……はい」
私は、
その日
風邪の人になった。
閉店まで、
出そうな状態が
続いた。
五時間。
帰宅。
玄関。
ドアを閉める。
鍵をかけた瞬間、
くしゅん。
小さいのが、
一回。
それだけ。
出ない一発。
五時間分の
準備をしていたのに。
足元で、
犬が
顔を上げた。
この日、
私のくしゃみを
聞いたのは、
犬だけだった。
1 views